改めて代表・青栁の自己紹介
皆様にご支援をお願いするにあたり、代表としての私がどのような人間であるかを、もう少し皆様に理解していただいた方が良いかと思いまして、改めて自己紹介をさせていただくことにしました。
幼少の頃は、しもつかれは好きではありませんでした。
やはり家で同居の祖母がシーズンになると大量に調理していたため、その香りが家中に広がるのが苦手なタイプでした。
幼少の思い出というかコンプレックスは「吃り・吃音症」であったことです。
人前で話すことが本当に苦手で、授業で先生から指名され人から注目を浴びると言葉を発することができなくなりました。
これは本当に大きな悩みで、30歳を越えるまで続き、人生の自信喪失に繋がる要因でもありました。今のように人前で話せる自分になりたくて、「話す」という行為に向き合い続けた人生でした。
少年時代のクリエイティビティを育んだ?かもしれない遊び
小学生時代は毎日陽が落ちるまで近所の公民館で友達と遊んでいて、よくやっていのは「リアルRPG」のようなもので、僕はゲームマスターとして毎日オリジナルストーリーを考えて、仮想の町やお店を作ったり、敵やボス敵を演じて、友達を僕の世界観の中で遊ばせていました。
よくよく考えると、今も昔も同じようなことをしてるなと感じます。
ストーリーを組み立てて、それを具現化し実践する。
今の仕事や活動もその頃の延長のような感覚なのかもしれません。
自分に全く自信がなかった時代
中学の部活はバレーボール部。
同級生は全てヤンキー。ヤンキーって運動神経が良いんですよね。
僕は元々運動神経も悪かったので、付いていくのがやっと。
おまけに部活の先生は怖くて、体罰の恐怖で僕は部活から逃げ出します。
人生初の挫折感ですね。
高校進学のための滑り止めに全て不合格という事態に陥り、さらに自信喪失。
なんとか滑り込んだ高校でまたバレーボール部に入るも、チームは栃木県ベスト3に入る強豪校で、僕のレベルでは全く付いていけず、先輩からいじめられるようになります。
高2の始めに退部し、モヤついてる時に救ってくれたのがバンド活動でした。
音楽は昔から教科の評価も高く、なんか得意な気になってました。
高3の文化祭でライブも経験しました。
音楽の専門学校に進もうと決意していましたが、父が許してはくれませんでした。
父は経営者で、自分の会社を僕に継がせたかった。
だから音楽ではなく大学に進むことしか許されませんでした。
なんの興味もない大学に進んだので、案の定勉強は全くしません。
代わりに何をやったかというと、結局音楽活動でした。
生き方を決めた大学時代
当時はヒップホップブームで、僕もDJを始めました。
周囲の影響で軽いノリで始めましたが、今でもメンターとして慕うDJの方との出会いにより、音楽としての楽しさもさることながら、彼の人生哲学に影響を受け、彼を自分自身にインストールしたような思考に変化していきます。
それによってヒップホップから、様々なアンダーグラウンドなジャンルへと越境し、曲作りも始めることなります。
そんな中、同時期に前述した祖母が他界します。
その時に「人生とは何か」「生きるとは」「死とは」みたいなことを考えることになります。
当時はインターネットもここまで発達してなかったため、書店で書籍を買い漁ったり、菩提寺の住職と問答したりすることで、自分なりの答えを見出しました。
そこで僕が出した答えは「やりたいことをやって生きる」でした。
このスタンスは今も変わっていません。
行きたくもない会社に就職していく同級生を横目に、就活もせず音楽の道で生きていくことを決めました。
その後は、派遣社員をしながら音楽活動を続けました。
現代のようにYouTubeもなかった時代に、生計を立てられるとしたらレーベルから曲を出すくらいの選択肢くらいの狭き道でした。
でも今考えても、その20代中盤が一番ストイックでしたし、一番クリエイティブな時代だったと思います。その頃が今の自分の基礎になっているといつも感じます。
人と違うことをやろうとしか思っていなかったし、自分で新しいジャンルをつくるくらいの気概がありました。尖りまくって音楽制作以外に興味がなかったので、周りから「山から仙人が降りてきた」と言われていました笑
やりたいことをやれなくなった
27歳になった時に、母がガンで長期の入院を強いられることになりました。
そんな母を看病していた父が急死。
母は回復はしたものの元の状態に戻ることはなく、僕が診ることになりました。
病弱な母と暮らしていくためには、収入になるか分からない音楽活動をしている場合ではありませんでした。
そこで「就職」という選択肢が生まれ、独学でやっていたグラフィックデザイン会社に運よく務めることができました。
デザインという仕事を選んだのも、前述の「吃りグセ」があったので、「できるだけ人と喋らなくて良い」という理由から選んだ要因が大きかったですね。
やっとデザインの話まできましたね。
掻い摘んだつもりですが、思ったより長くなってしまったので、続きは次回にしますね。