しもつかれの課題は、日本全体の課題そのもの
時代を超えて受け継がれてきた「しもつかれ」ですが、「鮭の頭」と「酒粕」が入っていることから、現代の栃木県民には「見た目が悪い」「生臭い」「酒臭い」といったネガティブな印象が定着し、好き嫌いが分かれる料理となっています。
そのため、栃木県民の間で意見が分かれ、調理する人や食べる人も減少しています。
こうした表面的な価値判断は、全国に存在する多くの郷土料理にも共通する問題です。
特に、SNSが日常的な情報発信のツールとなった現代では、栃木県民自身が「しもつかれ」をネタとして扱うことが増え、断片的に切り取られた情報が面白おかしく発信され、承認欲求を満たす手段となっています。
この現状は、現代の情報発信の課題を象徴していると言えるでしょう。
その他にも、「作る手間がかかるため、現代の『コスパ・タイパ』の価値観には合わない」「伝統的な季節行事や料理が軽視されている」といった理由から、日本的な情緒を楽しむような「古くさい感覚」は、むしろ不必要だと思われているのかもしれません。
しかし、日本を日本たらしめている「日本的精神性」こそ、世界に誇るべき感覚だと私は考えています。
「しもつかれなんて既に終わっている」「自然淘汰されるものは消えるしかない」という言葉を耳にしたこともありました。
しかし、それは本当に正しいのでしょうか?
今の価値観だけで、千年の歴史を持つ価値を簡単に捨ててしまって良いのでしょうか?
日本的精神性を大切にしながら、現代のニーズに合わせて価値を転換できれば、まだ可能性は残されているはずです。
捨てるのではなく、活かすことこそが、現代日本の伝統産業に求められる思考ではないでしょうか。
千年の歴史を次の千年に受け継ぐためには、今を生きる私たちの選択にかかっています。
私は、「歴史を変えるターニングポイントを生み出す」という意気込みで、この活動を続けています。
しもつかれの知られざる「精神性的価値」
しもつかれの本質的な価値は、「見た目」や「風味」といった表面的な部分ではなく、その背後にある「精神性」にこそあります。
私たちは、「3つの精神的価値」を活動の軸としており、これらは「サステナビリティ」や「SDGs」の考え方とも一致しています。
1. 勿体無い精神
しもつかれは江戸時代初期まで、大豆と大根に酢を混ぜて食べる料理でした。
現在の形になったのは江戸時代後期と言われており、その背景には、爆発的な人口増加と度重なる飢饉による食糧不足がありました。
生き延びるため、それまで残り物や廃棄されるものとして処理されていた食材を再利用し、現在のしもつかれが生まれたと考えられています。
この再利用の精神こそ、まさに「勿体無い精神」の象徴であり、フードロスが問題視される現代において、しもつかれが教えてくれる「モノを大切にする精神」は、時代と共に忘れ去られてしまった日本人の精神性を思い起こさせるものです。
2. おすそ分け精神
しもつかれには「七軒分食べると無病息災」という言い伝えがあり、近所におすそ分けをする文化が根付いています。これは、江戸時代後期の食料が乏しい時代に、食べ物を自分たちだけで消費せず、近隣に分け与えることで地域全体で生き延びようとする知恵だったと考えられています。
この精神は、現代の「シェアリングエコノミー」と同じ考え方に通じるものがあると言えるでしょう。
3. 違いを認め合う精神
前述の通り、しもつかれは各家庭や作り手によって味が全く異なることが特徴です。他者との違いを「間違い」として否定するのではなく、「その味も良いね」「その作り方も面白いね」と、違いを認めて楽しむ文化があったのではないかと推測されます。
正解か不正解で判断するのではなく、「それも良いね」と互いの違いを認め合う。このような精神性は、現代で言う「ダイバーシティ・多様性」の受容精神に通じるものがあると考えられます。
以上の3つの精神性は、SDGsが制定される遥か昔から日本人が大切にしてきた、世界に誇るべき価値観です。「MOTTAINAI」は既に世界中に定着していますが、この精神は「侘び寂び」にも通じる日本の誇る文化として、しもつかれにも体現されています。しもつかれの価値は、もはや栃木だけに留まらず、日本を代表する精神性の高い郷土料理であると言えるでしょう。
このような価値ある料理を、栃木県の観光資産として現代風にアップデートし、インバウンドを含む観光産業の活性化の一助として活用しない手はないと考えています。