Home ALL クラウドファンディングカウントダウン_9:しもつかれブランド会議代表・青栁徹の自己紹介-2

クラウドファンディングカウントダウン_9:しもつかれブランド会議代表・青栁徹の自己紹介-2

by しもジャパン

ブラックだったデザイン仕事

前回の自己紹介1回目は、デザイン会社に就職するところまででした。
まだ読んでない方はこちらからどうぞ。
https://www.shimotsukare.jpn.com/all/cf-countdown_10/

デザイン会社というより、地域月刊誌を発売する小さな出版社でしたね。
当時は普通でしたが、今でいうブラックな勤務体系で、月の1週間は通常出勤で、2週間は会社に泊まり込み作業、校了したら1週間休みというサイクルでした。泊まり時期はお風呂にすら入る時間もなかったですね。

自分で新たな月刊誌を立ち上げたりもすると、その一週間の休みすらなくなりました。
でも自分で立ち上げただけに面白く、やりがいもありました。
その時期に編集、撮影などなど、「ひとり出版社」みたいな感じで、自分でできることは全てやりました。

出版費用を稼ぐために、営業マンとして飛び込みもしないといけなかったので、そこで改めて「吃り」と向き合い、ひたすら話す練習をして、なんとか話せるくらいになりました。その時点で30代中盤でした。

そんなことを2年程度続けていたらファンもついてきて、フリーペーパーから月刊誌として会社から正式に出版することができました。
しかし出版から数ヶ月後、東日本大震災が発生し「広告控え」がおこり、たった数号の命で終わりを迎えました。

その時、張り詰めていた糸が切れるように独立を決め、会社を去ることにしました。

独立、自分のやり方を模索

フリーランスとして独立後、「自分などんなデザイナーでありたいか」を問いました。
その時に行き着いたのは、「デザインにこだわらずに、相手の課題解決につながることであれば、越境しなんでも取り組む」ということでした。

そのための一環として、ブランディングを学び出しました。

またこの頃、東日本大震災の復興の役に立ちたいという思いがあり、何かできないかと検索していたところ、Googleが「イノベーション東北」というプロジェクトを立ち上げるというのを見て、早々応募しました。

そのプロジェクトは、Googleが被災三県の事業者のところに事業を立て直すのに必要なリソースを聞いてきて、事前に登録した僕のような「サポーター」と呼ばれるプロボノで支援をする人たちに「プロジェクト」として共有し、支援者を募るというものです。

僕の場合ですと、デザインやリブランディングで困っている方のプロジェクトにジョインし、スキルを提供させていただいてました。

Googleを始めとした、グローバル企業や、国内でも面白い企業が集まっていたため、田舎の小さな出版社で働いてきた僕にとっては、学びも刺激も多大にいただくことになり、成長させたいただく機会となりました。

支援活動する中で、被災された方々が、地元の復興のために懸命に活動される姿を見て、その時「自分は地元の栃木のことなんて考えたことなかったな」と気付かされました。

昔から「地元愛」など程遠い人間で、興味すらありませんでしたが、復興に懸命に取り組む方の姿をみて、僕もこの活動の知見を地元に提供できたらと思うようになりました。

イノベーション東北では3年間活動させていただきました。
その過程で繋がった東北の皆さんとの関係は今も続いております。

しもつかれとの再会

東北での3年間の活動を経て、改めてデザインの知見を高めるために、都内で開かれていたとあるデザイン講座に通うことにしました。

その講座の最終課題は、「地元を活性化するためのデザイン提案」でした。
どうしようかなーと思案していたところ、「しもつかれ」ってあったなーと思い返し、自分なりに調べてみたところ「これは素材として面白いな、、、」と興味を持ちました。

実は僕はしもつかれが小さい頃から苦手意識があり、この頃は食べれませんでした。
しかし、調べれば調べるほど文化としての奥深さや、アプローチの仕方でまだまだチャンスはあるなと感じました。

この時僕が提案したデザインは、栃木県で最も流通している「大関商店」さんのしもつかれのパッケージのリデザインでした。しもつかれは見た目を苦手とする方もいるので、それを解決できるようなパッケージ案を提案しました。

しもつかれブランド会議開始

上記のデザインを自分のウェブサイトで公開していたところ、新聞記者さんから取材したいと連絡があり、2018年1月に掲載になりました。

せっかく新聞に載るからと、しもつかれの再興に興味のある方を集め、プロジェクトを立ち上げようと考え、できたのが「しもつかれブランド会議」です。

2025年で8年目になります。
現在はメンバーも35名ほどになり、発足当時から変わらず活動してくれる方もいます。
ちなみに、前述の取材してくれた記者さんが現在の妻です。
世界初の「しもつかれ婚」と言われております。

発足当初に掲げた「しもつかれを栃木のチャレンジ・シンボルへ」というビジョンは、現在は「しもつかれを日本のチャレンジ・シンボルへ」と、より大きなものとなりました。

今年の「しもつかれうぃーく2024」では、91コンテンツにも増えたかと思ったら、今度はそのうぃーくを休止し、展覧会にシフトするという新たな方向に動き出しております。

前回の自己紹介で尊敬するDJがいると記載しましたが、その人の好きなところの一つが、現在のポジションに安住せず、たとえ初心者になったとしても、自分の嗅覚のもとアドレスホッピングするところがあります。

人はある程度結果が出てくると、現在の地位を守ろうとします。
しかし守りに入った瞬間から衰退は始まります。
しもつかれブランド会議はビジネスでやっているというより、自分の「仮説検証の場」として捉えているので、チャレンジしなかったらこの活動の意味すらなくなります。

でもなぜ展覧会なのか。

前号で記述しましたが、派遣社員をしながら音楽活動をしていました。
その頃、音楽だけでなくインスタレーション的なこともしていました。
そして、その頃が人生で最もクリエイティブな時期だったとも記述しました。

展覧会は、その頃家庭の事情で諦めるしかなかった自分のやりたかったこと、つまり「本来の自分を取り戻す」行為そのものなのです。

もはや、しもつかれと僕は一心同体です。
自分の人生とクリエイティビティをかけて、この展覧会に臨みます。
そこから生まれるものこそが、「栃木の価値」「日本の価値」として多くの方に知っていただく機会となり、しもつかれを「日本のチャレンジ・シンボル」たらしめることになると信じております。

自己紹介は以上となります。
僕自体は大したことない人間ですが、しもつかれにはまだまだポテンシャルがあります。どうか皆さんのお力で、彼に本来の力を出させてあげてください。

これが僕ができる、未来に「託する」という死してなお残せるものだと考えております。

ご支援のほど、どうぞお願いいたします!!

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